ユカタンビワハゴロモ


 ユカタンビワハゴロモという昆虫がいる。海外の奇虫珍虫の類では知名度の高い部類に入るので、名前を聞いたことのある人も多いだろう。そんなややこしい名前は知らぬ、という方でも、実物を見ればどこかで見ているかもしれない。


 ただユカタンビワハゴロモの専売ではないけれど、この昆虫の形態は、どこか人の想像力を刺激する所がある。
 大小に関わらず、そして多かれ少なかれ。同翅目昆虫の仲間はいずれもそうである。
 用途不明の角やら飾りやらを備えており、翅に美しい色彩を帯びるものも多い。特に熱帯産のビワハゴロモの仲間は、大きさの上でも申し分ない。
 ユカタンビワハゴロモを始めて見た人はどう思ったであろう。自然への畏怖に満ちた想像力を発揮することに、少しも臆病でなかった、愛すべき自然科学草創期の人々は、もたらされたこの昆虫の標本を手にして、大いに想像を逞しくしたであろう。かのメーリアンが、この昆虫は強い光を放つのでその下で新聞を読めるくらいである、と記述したのも、当時のヨーロッパの人々が、このがらんどうの頭飾りが発光すると信じていたことに因する。
 「提灯持ち」と俗称されたユカタンビワハゴロモの、この迷信は、17世紀のトーマス・ムフェットにさかのぼれるようであるが、残念ながら「昆虫の世界」は読む機会が今のところない。


 ヨーロッパの人々がランタンに見立てた頭飾りは、その生息地に生活するネイティブ・アメリカンには小さなワニに見えたようである。この昆虫は不吉なもの、森の悪霊の化身とされ、ワニのうなりをあげて飛ぶ霊魂であると考えられたという。
 やや時代錯誤的だが現代の日本でも、この頭飾りの模様がワニに見えることが述べられることもある。もちろん昆虫がワニに擬態するはずもなく、ただ人間の眼がそう見ているだけなのであるが、このイマジネーションの源泉としての自然物の取り扱いには、底知れぬ魅力が不可分に結びついているのである。
 どんな昆虫でも標本を眺める時、人はこの曖昧模糊とした時代にさかのぼって、原初的な想像力に浸る特権が与えられる。自然科学と人文科学の境界線上の薄暮の思惟の中で、人間らしいイマジンを振るう時、小生は無上の喜びをこの身に感じるのである。

 それにしても、ユカタンビワハゴロモはこのような姿をしているのに、ちゃんと飛ぶことが出来るのには恐れ入る。より顕微鏡的なツノゼミの仲間などは、更に上を行く珍妙な姿をしているものもあるけれど、これらもまた巧く飛翔するようである。


この記事は小生の以前のブログ「バグログ@鬼灯庵」に掲載したものを修正し、写真を添えたものである。